魂が私たちを生かしている

わたしたちが魂に生かされていることを身近な例で紹介します。普段、私たちは目が覚めているときは、見たり、聞いたり、触れたりすることを、心が意識して行っています。

ところが眠っているときは違います。昼間、気にかかることがあると、関連する記憶が引き出された夢を見ることがあります。体が完全に眠り、心も深く休息しています。

そんな時、鮮明な夢を見ます。それは心ではなく、違う存在が見ています。純粋な意識です。心が体が休んでいるにもかかわらず、異なったレベルの意識が働いて夢を見せるのです。それが魂の働きです。心も働かない状態でも、私たちを生かしめている存在があるのです。こうした体験は、心が純粋な時に起きます。

神も、本来の自分である魂も、目に見えないから信じない、そう思う人もいるでしょう。しかし、私たちがもし手を失ったら、いくら技術が発達したと言っても、人間の力で全く同じ手は作れないのです。

人は寿命が来ると死ななければならないのです。それを引き延ばすことはできません。神によって生かされています。そのことを信じることによって、その力を引き出すことができます。

もともと私たちは、無限の存在、神から送られてきた存在です。魂は私たちの故郷なのです。

本来懐かしく、還りたいところであるのに、なぜ、つながりが切れて迷子になってしまったのでしょう。

それは輪廻転生の中で、心に過去世からの記憶である執着、感情や欲望があるからです。それによって心の中にはカルマが積み重ねられていっぱいになったために、心が曇ってしまったからです。

魂のまわりにある心の曇りが、魂を見えなくしてしまったのです。

もう一つ、神とのつながりを希薄にしているのは、私たちが自分の内側へ目を向けないためです。普段、神を意識しないためです。心の働きにとらわれているからです。

心のさまざまな執着や欲望、快楽の働きで外側ばかりに気をとられ、自分の本質が何かを気に留めないからです。

自分はなぜ生きられるのか、自分とは何かということを問うこともなく、心が自分と思い込んでいます。そして源の自分、神とのつながりも見失ってしまいました。

本来は、『自分はいったい誰なのか?』『本当の自分とは何か?』ということを知って初めて、人間として内面が充実します。外側ばかり見たそうとしても、心と感覚の喜びは、いつかはやがて飽きてくるのです。なぜならそれらは永遠のものではないからです。

私たちが一体どこからやってきたのか、そのルーツをたどっていきましょう。それがわからないと人は常に不安であり、自分自身が満たされないのです。

心を浄化して空っぽにして、純粋な状態に戻し、その奥の源の存在を発見しましょう。そして自分の内面に関心を持つことで、本来の自分について考えてみましょう。自分は内側にある奥深いところから送られてきたこと、そして今があることを自覚し、感謝する時間が必要です。

それは自分の源に還る旅ともいえるでしょう。

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